LOGIN第四話 継がれし想い
「ほら、いつまで寝ているんだい!」 朝の五時、梅乃は大声で起こされた。
「ふえ……?」 寝ぼけ眼で梅乃が目を覚ますと、妓女の大部屋が騒がしい。
“キョロキョロ……” 大部屋を見ると、全員が起きていた。
「起きた?」 小夜が梅乃の横に、チョコンと座る。
「なんで、こんなに早いの?」
「知らないの?」 小夜が驚いたように言った。
「江戸町二丁目の近藤屋が店を閉めるんだって!」 小夜は焦ったかのように話す。
ここ吉原には五つの町が存在する。
そこは大門(おおもん)から、突き当りの水道(すいど)尻(じり)までの約二百三十メートル真っすぐな道を仲(なか)の町(ちょう)という大通りがある。
その仲の町の両脇には、引手茶屋が多数ある
そして、東西に分けられた町がある。
東側には、伏見町、江戸町二丁目、角(すみ)町、京町二丁目
西側には、江戸町一丁目、揚屋(あげや)町、京町一丁目 がある。
その中でも、江戸町は大見世が軒(のき)を連ねていた。
「へー 近藤屋がね……」 梅乃には、まだピンと来ていなかった。
同じ江戸町で、大見世だった近藤屋が閉めてしまうことの重大さに気づくのは、まだ先のことであった。
その噂は三原屋でも独占していた。
普段なら色恋や、たまに来る舞台役者の話しでもちきりなのだが、今回は近藤屋の話しでいっぱいだった。
それは、近藤屋が閉鎖することにより三原屋も妓女を引き取るからだ。
ある程度、大見世である三原屋だが定員はある。
良い妓女が来れば、売上の悪い妓女は去らねばならない。
それは、他の中見世や小見世に行かなければならないということであり、
年季が明けるまでは避けたい事態である。
このピリつい空気に、梅乃と小夜も察してきた。
「お前たち、禿は良いよな……時代が被らなくて……」 妓女の一人が言う。
しかし、いつの時代にも大変な時期はある。
梅乃たちでさえ保証はないだろう。
そんな中、やはり近藤屋の妓女が三原屋にやってきた。
「よろしゅう、お頼み申しんす……」
近藤屋からは、四人の妓女を引きとった。
「おや? 貴女は此処の禿だったの?」 近藤屋から来た、一人の妓女が梅乃に話しかける。
この妓女は、花緒と言う。
「はい。 ご存知だったのですか?」 梅乃は驚いたように話す。
「えぇ、いつも桜の木の下で泣いていたでしょ」 花緒はクスクスと笑った。
(ちょっと恥ずかしいな……それに、そんなに泣いてたかな?)
梅乃は、頬を赤くした。
新しく妓女が入った事により三原屋は活気づくかと思ったが、不況の波は激しかった。
そして、客が少なくなり暇になると始まるのがイジメだ…
「おい、小夜……髪結い、早くしな」 妓女は、段々と禿にまで言い方がキツくなる。
事が上手くいかない場合は、
「お前たち禿が役に立たないからだ! しっかり働け!」 などと暴言を浴びせる毎日になっていった。
そんな梅乃と小夜の心の支えになっていたのが、約束の
“ニギニギ ” である。
つらい時、苦しい時にはお互いに “ニギニギ ” を見せ合っていた。
そんな行動を玉芳は、いつも見ていた。
ある時、玉芳が梅乃に聞いてきた。
「あのニギニギするポーズは何だい?」
その言葉に梅乃は驚いていた。
(見てたんだ……変な事して、マズかったかな……)
「変な意味じゃないよ。 ただ、二人がニギニギした後に二人が笑顔になるから気になってたのさ……」
(ホッ……怒られるかと思った) 梅乃は息を落とした。
「これは、前に叩かれたり蹴られたりした毎日の時でした……仲の町の桜の木の下で、小夜と手を繋ぎながら誓ったんです。 「絶対に花魁になろう」って……その手を握った時の真似なのです」
梅乃は恥ずかしそうに説明した。
「いい話しじゃないか! 私も仲間に入れてくれないか?」
「花魁……だって、花魁じゃ、約束も何も……」
「あはは……そうだな。 じゃ、もう少し高みに行けるようにじゃダメかい?」
玉芳は笑いながら話した。
「はい。 一緒に行きましょう……まだ、桜は残ってますしね」
梅乃は笑顔で応えた。
そして、昼見世が終わった頃
「梅乃、小夜、行くよ」 玉芳は二人を誘い、仲の町の桜の木まで来た。
そして、真ん中に玉芳が入り、三人で手を繋いだ。
「みんな良くなれ……辛くても、苦しくても頑張ろう」 玉芳は言葉にして、左右の禿は頷いた。
そして、何度も手を握ったのである。
約束をした後、吉原の茶屋で団子を食べた三人は会話を楽しんだ。
これは玉芳の母性なのかもしれない。 禿の二人と話しているのが楽しくなっていた。
「しかし、化粧を落とすと花魁ってバレないものですね……」
小夜の一言で、玉芳は茶を吹き出す。
「小夜……」 玉芳は呆れた顔で、小夜を見た。
「すみません……」 小夜が謝ると、玉芳は母のような目をして笑顔になっていた。
「今日の約束ね……私も仲間に入れて貰って元気になったよ」
そう言った玉芳は、少し寂し気な顔をした。
「どうしたのですか?」 梅乃が聞くと
「私も、もうすぐ三十になる……いつまでも花魁なんか出来ないだろうし、いつ三原屋を出されるか分からないしさ……だから、お前たちの元気が欲しくなったのさ」 玉芳の言葉に、二人が黙った。
「花魁……コレですよ」 梅乃は手を前に出し、ニギニギを始めた。
「そうだね」 玉芳も、手を前に出してニギニギをした。
「戻ろう」 玉芳は、梅乃と小夜を連れて妓楼に戻った。
妓楼に戻った梅乃と小夜は、妓女の身の回りの世話を始める。
「何やってんだい!」 こんな言葉も毎度である。
それでも禿の二人は、ニギニギをしながら支え合っていた。
玉芳を交え、三人で誓い合った約束を果たす為に。
そして数日が過ぎ、昼見世の時刻。
花緒が梅乃に声を掛ける。
「梅乃、ちょっと……」 花緒が梅乃に手招きをする。
小走りで梅乃は近づいた。
「どうされました?」 梅乃が言うと
「今日の酒席、小夜と二人で手伝ってくれないか?」
「はい。 早い時間であれば問題なく……」 梅乃は答えた。
梅乃と小夜は、まだ十歳である。 夜、遅い時間は働くことは禁じられている。
これは、店主の文衛門が決めていることだ。
文衛門は仕事には厳しいが、実際には優しい旦那なのだ。
梅乃が夜の仕事に入る時は文衛門に話さなければならない。
小夜も同様だが、二人の父親でもあるからだ。
「では、旦那様にも話してきます」 梅乃は立ち上がり、采の所に向かった。
采に話すと、文衛門がやってきた。
「お前は働き者だね……しっかり勉強をしておいで」 文衛門は、梅乃の頭を撫でて話した。
「姐さん、許可を貰いました。 勉強をさせてもらいます」
小夜も横に立ち、梅乃は元気よく話していた。
夕刻、 「梅乃、小夜、こっちへ……」 玉芳が二人を手招きする。
「花魁、いかがされました?」 梅乃が聞くと、
「コレを使いなさい」 玉芳が二人に差し出したのは白粉(おしろい)と口紅であった。
そして、玉芳自らが二人に化粧をしてあげた。
「こういう風にやって……」 と、化粧の勉強を教えていたのだ。
そして、十分が過ぎた頃
「これでよし! しっかり稼いでくるんだよ♪」 この玉芳の言葉は、妓女として最初の頃、采に掛けられた言葉だった。
この想いは、受け継がれていくものだと玉芳は思っていた。
そして、三人でニギニギをして梅乃と小夜は、花緒の元に向かった。
「なんだい? 随分とお洒落をしたじゃないか?」 采が二人を見て驚いていた。
「はい♪ 花魁に化粧をして頂きました」 梅乃は、胸を張って答えた。
「そうか、しっかり勉強してくるんだよ」 采は笑顔で言った。
(いつも怒った顔をしているのに、笑顔だ……) 梅乃と小夜は、軽く恐怖を覚えた。
そして夜見世が始まった。
花魁と同じように、引手茶屋まで客を迎えに行く。
しかし、花緒は花魁ではないので派手な道中をすることは無かったが、それでも禿を率いての迎えは噂になるものである。
「ありがとう♪ 少し目立ったわ♪」 花緒は笑顔だった。
(花緒姐さん、玉芳花魁とは格が違うけど優しいな……)
梅乃と小夜は、子供ながらも人を見ていた。
着飾った梅乃と小夜は、酒宴にも参加をしていた。
特に接待はないが、雰囲気や会話の勉強である。 新造の身分であれば、今後の事を考えると客を取られかねない。 堂々と吸収できる期間は禿の期間だけであった。
そして夜の八時頃、花緒の合図で梅乃と小夜は、礼をして酒宴を去った。
『バシャ バシャ……』 化粧を落としていた梅乃に玉芳が話しかけてきた。
「どうだった?」
「はい。 勉強になりました」 梅乃が答えた時、
「はい。 コレ……」 玉芳は、梅乃と小夜に櫛(くし)をプレゼントした。
「えっ? よろしいのですか?」 小夜は驚き、両手で櫛を抱えた。
「いっぱい あるから……」 そう言って、玉芳は二階へ戻っていった。
その櫛は、梅の柄が入った物は梅乃へ。
節目の入った櫛が小夜へと渡された。
「大事にします♪」 そんな無邪気な少女は、さらに励むようになっていった。
後日、菖蒲と勝来に櫛を貰った事を話した。
「……」 菖蒲と勝来は黙ってしまった。
「姐さん?」 梅乃はキョトンとしていた。
「その櫛、大事にしなさい。 そして、大きくなったら同じ事をしてあげなさいね……」 勝来は言った。
(これは、どんな意味があるんだろう……?)
この意味を知るには、そう時間は掛からなかった。
第四十九話 接近 春になり、梅乃と小夜は十三歳になる。 “ニギニギ ” 「みんな よくな~れ」 桜が咲く樹の下、禿の三人は手を繋ぎジャンプをする。 「こうして段々と妓女に近くなっていくね~♪」 小夜はワクワクしている。 (小夜って、アッチに興味あるんだよな~) 梅乃は若干、引いている。 「そういえば、定彦さんに会いにいかない? 『色気の鬼』なんて言われているし、そろそろ習わないと……」 小夜は妓女になる為に貪欲であった。 「なら、お婆に聞かないとね。 定彦さんもお婆に聞いてからと言ってたし」 梅乃たちは三原屋に戻っていく。「お婆~?」 梅乃が声を掛けると采は不在だった。「菖蒲姐さん、失礼しんす」 梅乃が菖蒲の部屋に行くと、勝来と談笑をしていた。「何? どうしたの?」 菖蒲が聞くと、「あの……定彦さんから色気を習いたいのですが……」(きたか……) 菖蒲と勝来は息を飲む。「あのね、梅乃……お婆は会うのはダメと言っているのよ……」 菖蒲が説明すると、「そうですか……」 梅乃は肩を落とす。「理由は知らないけど、そういうことだから」 梅乃が小夜に話す。「理由は知らないけど、お婆がダメと言って
第四十八話 鬼と呼ばれた者とある午後、菖蒲と勝来で買い物をしていた。 本来なら、立場的に御用聞きなどを頼めるのだが気晴らしがてらに外出をしている。 「千堂屋さんでお茶を飲みましょう」 菖蒲が提案すると、勝来は頷く。 「こんにちは~」 菖蒲が声を掛けると、 「あら、菖蒲さん。 いらっしゃい」 野菊が対応する。 「お茶と団子をください」 妓女である二人だが、年齢でいえば少女である。 こんな楽しみを満喫してもいい年齢だ。 そこに、ある張り紙が目に入る。 「姐さん、あれ……」 勝来が指さすものは、注意書きであった。 そこには、『円、両 どちらも使えます』という張り紙だった。 明治四年、政府の発表では日本の通貨が変更される事だった。 吉原では情報が遅く、いまだに両が使われていた。 通貨の変更から一年が過ぎ、やっと時代の変化に気づいた二人だった。 江戸時代であれば、両 文 匁などの呼称であったが、明治四年からは、円 銭《せん》 厘《りん》という通貨になっていた。 ただ、交換する銀行が少ない為に両替ができない場合もあり、両なども使えていた。 「時代が変わり、お金も変わるのね~」 実際、働いたお金のほとんどが年季の返済になっていて、手にするお金は小遣い程度だ。 価値などは分からなくて当然だった。 三原屋に帰ってきた二人は、采に通貨の話をすると、 「あ~ なんか聞いてたな……そろそろ用意しようかね~」
第四十七話 遊女の未来明治六年 三月。 政府の役人が礼状を持ってきた。「去年の秋にお達しが来ているはずだ。 妓女を全員解放するように」「はぁ……」 文衛門は肩を落とす。明治五年の終わり、政府からの通知が来ていた。日本は外国の政策に習い、遊女の人身売買の規制などを目的とした『芸《げい》娼妓《しょうぎ》解放《かいほう》令《れい》』が発令される。遊女屋は「貸《かし》座敷《ざしき》」と改名される。 そして多くの妓女は三原屋を出て行くことになる。妓女のほとんどが「女衒」や「口減らし」を通して妓楼へやって来ているからだ。そういった妓女を対象に解放をしなくてはならない。三原屋では妓女の全員と古峰が対象となる。 梅乃と小夜は捨て子であり、三原屋で育っているからお咎《とがめ》めはない。再三の通告を無視し続けていた吉原にメスが入った形だ。「お婆……私たち、どうすれば……」 勝来と菖蒲が聞きにくると、「ううぅぅ……」 采は悩んでいる。妓女たちも不安そうな顔している。「ちょっと待っててください」 梅乃は勢いよく三原屋を飛び出す。「どこ行ったんだ?」 全員がポカンとしている。梅乃は長岡屋に来ていた。
第四十六話 袖を隠す者 昼見世の時間、禿たちは采に指示を受けていた。 「いいかい、妓女として芸のひとつは身につけておかないとダメだ! 舞踏、三味線、琴でもいい…… わかったね!」「はいっ!」 三人は元気に返事する。 この冬を越えれば梅乃と小夜は十三歳となる。 菖蒲や勝来は十四歳の終わりに水揚げをし、十五歳になったら客を取る準備をしなければならない。 それまでの準備期間となる。「まだ早いんじゃないか?」 文衛門が采に言うと 「あぁ、そうだね……早いかもね」 采は冷静な口調で返す。 「だったら何故……」 「今、しなかったらアイツ等は ずっと悲しんでるだろ? 気を逸《そ》らしていくのさ」 采は、そう言ってキセルに火をつける。 これは、采の考えがあっての行動である。 赤岩の死後、落ち込んだ空気を一変させる必要があったのだ。 これは禿だけではなく、三原屋や往診に出た見世にも言えることであった。 これにより、三原屋の妓女は禿たちに芸を教えることになる。 二階の酒宴などで使う部屋が練習部屋になっている。 古峰は琴を習っていた。 その要領は良く、習得が早い。 教えていたのは信濃である。「古峰……アンタ凄いわね」 信濃は目を丸くする。「い いえ、信濃姐さんが優しく教えてくれるので……」 古峰が謙遜すると、「嬉しい事を言ってくれる~♪」 信濃は古峰の肩を抱く。
第四十五話 名も無き朝深夜から明け方にかけて、岡田は梅乃の身体を温めていた。心配もあり、以前に玉芳が使っていた部屋を借りている。「梅乃、まだ寒いか?」 声を掛けると、「うぅぅ……」 声は小さいが、かすかに反応を見せる。 (よかった……) 岡田は梅乃と同じ布団に入り、体温の低下を防いでいた。 そこに小夜と古峰が部屋に入ってくる。 「梅乃―っ 大丈夫…… って……あの、何を……?」小夜と古峰が見たものは、一緒の布団に入っている二人の姿だった。「いやっ― これは体温低下を防ぐ為にだな……」 岡田が説明していると、「そんなのは、どうでもいいです。 梅乃はどうですか?」小夜は顔を強ばらせている。「体温は戻ったようだ。 何か温かいものを飲ませてくれ」 岡田は布団から出て、赤岩の部屋に向かった。外は、まだ暗いが朝が近づく。これから妓女たちは『後朝の別れ』をしなくてはならない。 岡田は息を潜めるように赤岩の横に座った。二階も騒がしく、菖蒲、勝来、花緒の三人も後朝の別れを始める。二階を使う妓女たちは、朝の目覚めの茶を入れる。そして客が飲み干し、満足そうにしたら後朝の別れとな
第四十四話 静寂の月赤岩が布団で横になっている。 そこに梅乃が看病をする。 岡田は中絶の依頼を受け、妓楼に向かっていた。「先生、しっかり……」 梅乃が赤岩に声を掛けている。 大部屋の妓女たちも赤岩の部屋を見てはザワザワしていた。「お前たち、さっさと支度するんだよ! 仕事しな、仕事……」これには采も見かねたようだ。夕方、妓女たちは引手茶屋に向かう。 その中には小夜や古峰もいるが、梅乃は赤岩の看病で部屋に籠もっていた。「先生……私はいます。 まずは安心して休んでください」 梅乃は濡れた手ぬぐいで赤岩の身体を拭いている。「梅乃……」 小さな声が聞こえる。 これは赤岩がうわごとの様に発している。 「先生……私はここにいます」 この言葉を何度言ったろうか。 やり手の席には采が座っているが、落ち着かない表情をしていた。そこに引手茶屋から妓女が客を連れて戻ってくる。 これから夜見世の時間が始まる合図である。梅乃は部屋から出て、客に頭を下げる。 時折、笑顔を見せては客を歓迎していく。 この笑顔に采は悲痛な思いを寄せていた。客入りの時間は岡田も三原屋に戻ってこられない。 もし、終わっていても何処かで時間を潰さないとならない。 客に安心を与える場所であり、夢の時間を